理想の税金

 
「鉄の女」の異名を取ったマーガレット・サッチャー元イギリス首相が今年4月に亡くなりました。今月は、サッチャー元首相が導入し失敗した税制を題材に、理想の税金とはなにか考えてみたいと思います。

 
サッチャー元首相は、財政赤字を克服しイギリス経済を立て直した救世主として高い評価を受けた一方、失業者を増大させて、地方経済を不振に追いやった首相と低い評価もあります。非常に強硬な政治方針と信念から、人気のあった首相でしたが、サッチャー人気が急激に衰退し、保守党党首の辞任に追いやられた理由は彼女が推進しようとした人頭税でした。

 
人頭税とは、収入に関係なく16歳以上の国民一人ひとりから同額の税金を徴収するという税法でした。お金持ちもそうでない人も、国民は皆平等に道路などの公共施設を利用し、警察官や消防隊などの公共サービスを受けている訳ですから、国民一人ひとりから平等に税金を徴収するのが公平ではないかという考えからきています。なるほど、と思うのですが、ではなぜ人頭税がうまくいかなかったのでしょうか。人頭税を導入する事で大邸宅に住む一人暮らしの家庭よりも、狭いアパートに住む子だくさんの家庭の方が何倍も高い税金を支払うことになり、とんでもない不公平感を生み出してしまいました。現実問題として税負担能力のない人にも負担を求めることから、大規模な不払い運動や暴動まで発生してしまい、サッチャー政権の衰退の一因となったのです。

 
それでは、皆が納得できる「よい税金」というものはあるのでしょうか。経済学者たちは昔から、「租税原則」という言葉でいろいろ議論してきました。アダム・スミスをはじめ、たくさんの学者たちがさまざまな説を唱えているのですが、究極的に集約されるのは次の三つといわれています。

税の三原則

  • 簡素
  • 公平
  • 中立

 
まず第一条件の簡素ですが、簡単でわかりやすいということは非常に重要であり、税制が複雑になってしまうと、それを知っている人だけが得をして、知らない人が損をすることになってしまいます。しかし実際は、日本やアメリカなどの多くの国では、税金は複雑で難しくなっているのが現状です。

 
第二条件の公平ですが、税金は政府に半強制的に徴収されるものですので、公平である必要があります。公平には大きく分け、「水平的な公平」と「垂直的な公平」という二通りの考え方があります。水平的な公平とは、一人一人受け取る益は同じなのだから、税金も同じ額を払うのが公平だという考え方です。一方、垂直的な公平とは、所得が多い人は支払う能力があるため税金を多く払い、逆に所得が少ない人は支払う能力がないため少ない税金を払うのが公平だという考え方です。

 
垂直的な公平には、どの程度の差をつければ公平かという問題も生じます。例えば、AさんとBさんの所得の割合が二対一だとすると、税金もそのまま二対一でいいのか、それとも所得が倍もあるのだから三倍または四倍でもいいのではないか、極端な話になれば所得の差額は全額税金として払ったってもいいのではないかなどの考え方もでてきます。垂直的公平というのは、どこまで追求しても基本的には価値判断の問題ですので議論が尽きません。一つ言えることは、お金を稼ぐということは、この社会の中で価値を生み出しているということですので、価値を生み出している人を罰するつもりがないのであれば、税金の課税方法にはあまり差をつけない方がいいということです。

 
第三条件の中立であることというのは、税金の徴収は大きな影響をいろいろな人に与えるため、ある一方を優遇し、一方を厳しく課税する、といった恣意的な操作をしてはならない、ということです。例えば、野球観戦チケットに対する消費税を100%にして、サッカー観戦に対する消費税をゼロとすると、当然野球を見に行く人が減り、サッカーを見に行く人が増えてしまいます。このように税を恣意的に操作することによって、経済活動を操作することができてしまうため、政府の介入で人々のお金の使い方を操作すことを避けるためにも中立でなければなりません。

 
以上の話からも分かるように、税のあり方が人々の生活環境に大きな影響を与えます。今まで税制改革などにあまり興味のない方も、今後このことを念頭に置き一緒に考えてみるのもいいかもしれませんね。

 

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