米国税金の歴史(その1:アメリカ建国初期)

 

税金と戦争が実は親密な関係にあったという事実を皆さんご存知でしょうか。今回は米国税金の歴史を3部に分けてご紹介いたします。

ご存知のようにアメリカが合衆国として独立をする以前のアメリカ大陸は、植民地としてイギリス、フランス、スペインの統治下にあり、各国が植民地を拡大すべく激しい争いを続けていました。1756年にはイギリスとフランス・インディアン連合軍の間で7年戦争が勃発し、戦局は収まるどころかますます悪化の一途をたどります。当然のことながら戦争には膨大な費用がかかり、財政的に苦しくなった各国は戦争の財源を確保すべく現地で税金を徴収し始めます。

当時アメリカ北東部を植民地として統治していたイギリスは、植民地に戦費の一部を負担させるため、いろいろな税金を課します。1764年に制定された砂糖税 (Sugar Act) を皮切りに、翌1765年には、あらゆる公文書、証書、契約書、新聞、遺書、パンフレット、トランプなどに政府発行の印紙を貼ることを定めた印紙税 (Stamp Act) が制定され、さらに1767年になると、鉛、紙、塗料、ガラス、紅茶などの輸入品に関税をかけるタウンゼンド法 (Townshend Revenue Act) を成立させます。ところが植民地税を可決したイギリス議会にはアメリカから選出された議員が一人もおらず、勝手にイギリス本国に税金を課す法律を成立させられたかたちとなったのです。

当然のことながら参政権がないまま納税だけを迫られた植民地側はこれに猛反発します。だたでさえ苦しい植民地生活に追い討ちをかけるかのような重税を苦にした人々が各地で反発し、独立の機運が高まります。そして1773年にマサチューセッツ州ボストンで、イギリスの植民地政策に憤慨したサミュエル・アダムスを中心とした植民地の組織が、アメリカ・インディアンに扮装して、港に停泊中のイギリス船に侵入し、積荷の紅茶箱342箱(当時の金額で約1万ポンド相当)を海に投げ捨てるボストン茶会事件(Boston Tea Party)を起こし、独立運動に拍車がかかります。

これに対してイギリスは、翌年ボストン港を閉鎖するとともにマサチューセッツ州の自治権を剥奪しボストンを軍政下に置き両国の緊張は一気に高まります。植民地側は同年の9月にフィラデルフィアに12植民地の代表を集めて第1回大陸会議を開き、イギリス本国の植民地に対する立法権を否認すること、イギリスとの経済的断交をすること、それと大陸同盟の結成を決議します。ちなみにこの大陸会議に代議員として参加していたのがジョージ・ワシントン、トマス・ジェファソン、ベンジャミン・フランクリン、ジョン・アダムズなど後のアメリカ発展に貢献するメンバーが名を連ねていました。

そして1775年4月19日、ボストン郊外のレキシントンでイギリス軍とアメリカ植民地の民兵による武力衝突が起こり、独立戦争へと発展していくのでした。そもそも他国の侵略から植民地を守るために徴収した税金が、皮肉にもイギリス本国から独立をするきっかけとなったのです。

 

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