米国税金の歴史(その2:南北戦争期)

 

前記(① アメリカ建国初期)でも述べたとおり、イギリス本国による過度な植民地税(砂糖税、印紙税、タウンゼンド法)などが原因で独立を決議したアメリカ合衆国。さてその税金、独立を勝ち取った後にどうなったのでしょうか。

1783年のパリ条約でイギリスから独立を勝ち取ったアメリカは、実は独立戦争により深刻な財政難に陥っていました。そもそもイギリス本国による重度の課税に反発して始めた戦争が、かえって新しいアメリカ政府の負担になり、植民者がその政府から税金を取り立てられるという矛盾が生じます。

アメリカ合衆国建国当初は、人頭税 (Poll Tax, Capitation Tax) と呼ばれる税法があり、個人の納税能力に関係なく成人男性に対して一定額の税金が課せられていました。また人頭税は納税を義務付けるだけでなく、同時に納税者に対し選挙権を与えていましたが、税金を払えない黒人奴隷や貧困層が平等に扱われないばかりか貧富の差を助長する悪税だと多くの非難を浴びました。しかし、人頭税だけでは十分な財源確保が困難になり、新たな税収策として関税 (Tariff, Customs Duty) や消費税 (Excise Tax) が導入され、課税対象も酒類から砂糖、塩、たばこなどに拡大されました。

その後アメリカの税金事情は南北戦争を機に大きく変化します。そもそも南北戦争自体、連邦政府の税政策に対する南北の利害関係が原因で戦争に発展しました。当時北部では急速な工業化が進んでおり、他国の製品よりも競争力を優位に保つために関税を高くする保護貿易政策を主張していました。一方南部では農業中心のプランテーションが盛んで、プランテーションによる製品(特に綿花)の輸出を伸ばすために関税を低くする自由貿易を主張し、1816年以後続けられていた保護貿易政策に強く反対していました。

南北戦争勃発後の1862年に連邦政府は、戦費調達のため当時大統領であったアブラハム・リンカーンと連邦議会によって所得税が初めて導入され、また当時こうした税金徴収の効率をはかるため現在の内国歳入庁 (Internal Revenue Service) の前身である内国歳入長官 (Commissioner of Internal Revenue) を設けます。内国歳入長官は税金に関する算定・課税・徴収そして税金未納者に対して財産の差し押さえが出来る権限を与えられました。当時の所得税は、$600ドルから$10,000ドルまでの収入に対し税率3%を課税し、$10,000ドルを超える収入に対してはそれ以上の高税率を課しました。ちなみに「内国歳入」という呼び名は、関税により外国 (External) からの輸入品に課税することによって得る財源 (Revenue) との対比から「Internal Revenue」と名付けられました。

その後もともと戦費調達を目的としていた所得税は、南北戦争終結後の1872年にいったん廃止されますが、終戦後の復興財源として1894年に再び導入されます。しかし当時のアメリカ合衆国憲法第1条で、「人頭税あるいは他の直接税は、国勢調査もしくはその他の人口算定に基づき人口比例せざるかぎり課税されず」と規定されており、人口比例という憲法上の要件に抵触する所得税は連邦最高裁に違憲と判断され翌年には廃止されました。

 

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