毎年9月の第1月曜日に祝われる祝日 Labor Day(労働者の日)。労働者の労働条件改善および生活水準向上を求める労働組合運動が、米国の税務政策に大きな影響を及ぼし事を読者の皆様はご存じでしょうか。今月は労働者の日に纏わる歴史的な変化を税制の観点から紹介をしたいと思います。
労働者の日
最初に労働者の日を制定したのはオレゴン州で、連邦政府の導入より7年早い1887年に施行されました。その後、各州でも同様の動きがあり同年にはコロラド州、マサチューセッツ州、ニュージャージー州、ニューヨーク州の4州でも労働者の日が制定されました。1894年には23州が労働者の日を祝日として採用し、同年6月28日にクリーブランド第24代大統領の署名によって、9月の第1月曜日が全米の公式祝日となりました。米国では多くの人々が労働者の日をパレード、集会やパーティーで祝いますが、もともと「労働組合の団結力を示す目的」が背景にあった事が其の所以となります。(米国労働省調べ)
労働運動による政策への影響
労働運動は公正な賃金、労働時間の短縮、労働環境の改善を求める労働者の訴えが原動力となり、税制に大きな影響を与えました。特に近年は、労働者の権利拡大と社会的地位の確保が叫ばれ、税制も時代の変化を汲み取りながら進化してきました。次が労働運動が米国税制に与えた主な事例となります。
所得税(1913年導入)
アメリカ合衆国憲法第1条の要件に抵触するという理由で廃止された所得税は、第1次世界大戦直前の1913年に合衆国加盟州の4分の3以上の同意を得て、第16次憲法修正法案として成立しました。この修正法案により連邦政府は永久的に所得税の徴収が認められ、個人・法人所得に対し税金の算定・課税・徴収権限が与えられました。またこの年に皆さんもご存知の連邦個人所得税申告書 (From 1040) が初めて導入され、$3,000以上の課税所得に対して1%、$500,000を超える課税所得に対しては追加で6%の税率が掛けられていました。
所得額別に適用される税率から推察できますが、導入当初は高額所得者の租税を目的とし、労働者階級の税負担を軽減する措置が取られていました。また所得税の申告書が導入された当時の申告期日は3月1日でしたが、5年後に3月15日に変更され、さらに1954年に現在の4月15日に最終変更されました。
社会保険制度(1935年導入)
1929年に米国の株式市場暴落を発端とした世界大恐慌により街は失業者であふれ、人々の生活に経済的困窮をもたらしました。労働者の長年の要望であった老後の生活保障は、この大恐慌をきっかけに社会保障法としてルーズベルト第32代大統領によって1935年8月14日に法制化されました。同法律は、従業員と雇用主の双方が拠出する社会保険税 (Social Security Tax) によって資金が賄われ、老齢年金の給付を国が管理する仕組みとして整備されました。その後、数回の法改正により1939年に遺族年金、1954年に障害年金が追加され給付の対象が拡大されました。
また失業者の救済策として失業した労働者に一時的な所得補償を行う失業保険も導入され、財源は雇用主が支払う連邦失業保険税 (FUTA) と州失業保険税 (SUTA) によって賄われています。
公正労働基準法(1938年導入)
先の社会保険制度に引き続きルーズベルト第32代大統領によって法制化された公正労働基準法は、労働者を不当な低賃金や過酷な労働時間から守ることを目的として1938年10月24日に施行されました。同法は、最低賃金の制定、時間外労働に対する賃金の上乗せ、児童労働を規制するなど労働条件を改善する内容となっており、労働者階級の人々にとって大きな勝利となりました。
医療保険制度(1965年導入)
1965年7月30日にジョンソン政権が社会保障法の改正を行い、65歳以上を対象とした医療保険制度が開始されました。医療保険の財源は、従業員と雇用主の双方が拠出する医療保険税 (Medicare Tax) から賄われ、それぞれが給与額の1.45%(合計2.9%)を医療保険税として納付します。社会保険税とは異なり医療保険税には上限が設けられていないため、給与額に比例して納税額が増える仕組みになっています。
あとがき
労働運動は単なる労働条件の改善を求める運動にとどまらず、米国の税制に大きな影響を及ぼしてきました。その根底には「労働者が安心して暮らせる社会を築く」という共通の目的があり、所得税、社会保障制度、福利厚生の税制優遇策など現代税制の基盤となっています。
近年は、労働者の日を境に新学期が始まる地域が多いため、その日を「夏の終わりを告げる日」として捉え、最後の休日を楽しむ祝日として定着しているようです。いろは読者の皆様は、どのように労働の日を過ごされたのでしょうか。